2025/5/26
楚々の建物は、100年を超える古民家です。
この空間を彩るものの一つに、「音」があります。
葉山の暮らしの中には、自然があり、水の音があります。
楚々の庭先にも、小さな水の流れをつくりました。
石の段々をやわらかく伝う水の音は、静かで透明で、まるで波のように店内に広がります。
晴れた日には、その音に草花の揺れる気配が重なり、
雨の日には、雨音とやさしく溶け合って、空間全体が静かなハーモニーをまといます。
初夏を思わせるようなこの季節には、風と共に風鈴音が店内に静かに響きます。
それはまるで、風そのものが、この場所の一部として“参加している”ような瞬間です。
店内には、お客様の笑顔や会話、
本のページをめくる小さな音、
コーヒー豆を挽く音、ドリップの湯がぽたぽたと落ちる音。
生活の中にあるさまざまな音たちは、どれも声高に主張することはなく、
けれど確かにそこに在りながら、静かに重なり合って、
まるで曲のように、楚々という空間を奏でています。
音の記憶、心の余白
音には、何かを“伝える”というよりも、“記憶”という力があるように思います。
たとえば、水の音は海の記憶や雨宿りの午後を。
風鈴の音は、少し懐かしい夏の気配を思い出させてくれるような音。
楚々にある音も、そんな“記憶のスイッチ”のように、
ふと心の奥に触れて、言葉にならない感情をそっと浮かび上がらせてくれる存在であったらいいなと思います。
そして音は、空間に“余白”をつくってくれます。
誰かが話しているとき、ふとした沈黙が流れるとき、
香りや音がそこにあるだけで、その場がやわらかく満たされているように感じられる瞬間があります。
音のない場所は静かですが、音がありすぎる場所は少しだけ騒がしさもあります。
でも、必要な音だけがそっと重なり合う場所には、“耳をすませる静けさ”があります。
私たちはその静けさの中で、呼吸を整えたり、考えごとをやめたり、
ただ“いる”という感覚に戻ることができるのかもしれません。
楚々という空間に流れる音たちも、
そんなふうに、訪れる人の中に余白をつくり、
いつもの自分を、少しやさしく包みなおすような存在であったら——。
そう思いながら、日々耳を澄ませています。